NAGAI CARLOS Team Concept



長居カーロスの歴史


1988年 キャプテンの「奥野 桂太郎」が高校2年の時のクラスメートに呼びかけ
放課後に高校の近所にある「長居公園」の広場で
草野球を始めたのがこのチームの始まり。

当時、キャプテンがエース兼、遊撃手を務め、
チーム通算勝利数の2勝を納める活躍を見せていた。

ところが、高3時に、それぞれの進路のため、チームは自然消滅。
 
しかし、キャプテンの心の火は消えておらず
11年の時を経て、1999年に新たなメンバーを加えチームの再結成を成し遂げる。
以降、ユニフォームも作成し、試合が出来るまでにこぎつける。

が、2年間も勝ち星に恵まれず、いきなり低迷期に。
しかし、当時わずか20歳の野球経験者の大学生に監督要請し、これを快諾。
この時、「岡崎監督」が誕生する。

就任直後、いきなり歴史的初勝利を挙げ、采配能力の高さを発揮する。
この時、「岡崎マジック」と言う言葉が生まれた。

しかし、就任以降、好成績を収め続けた「名将」岡崎監督が就職のため東京へ。
暗雲立ちこめる「長居カーロス」の混乱を収拾すべく
新監督に抜群の統率力を誇る加藤の就任が決定。
この時、闘将「加藤監督」が誕生する。

1年目こそはなかなか好成績を残せなかったものの
2004年には5勝4敗3分とチーム史上初めて勝ち越しを記録するなど
「明るく楽しくマナー良く」&「勝つ楽しさ」を見事に融合させ、
かつ、相手チームの不正やマナーの悪さなどが目につくと
チームのため相手に猛烈に抗議するなど
決して折れない強い心を持った闘将として手腕を発揮する。

しかし2005年4月13日、33歳の若さで急逝。
志半ばでの突如の悲運、本当に悔やまれる。

「身は滅びれど魂は死せず」
の言葉通り
加藤監督の野球に対する熱き魂は
今なお我がチームと我々の心の中に生き続けている。

その後、2004年後半に大阪転勤で帰阪、
加藤監督の後任として、過去の実績を買われ
満場一致で「岡崎監督」の監督復帰が決定。
「岡崎マジック」復活に期待がかかる。



本拠地は大阪、長居



2000年 撮影


長居カーロスのチームコンセプト

来る者は拒まず、去る者は追わず
明るく、楽しく、マナー良く









         





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